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2015年 春 台湾研修 後編

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南。
台湾。
私たちが台湾へ訪れる理由は1つ。
董師奇穴針法を学ぶため。
胡文智老師から董師奇穴針法を教えていただく。

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ここへ来て胡老師の姿を見ていると、
針の奥深さに気付き、喜びを感じる事ができる。

「ここで学んだことをことを多くの患者さんに」。
これまで何度、この言葉と向き合ってきただろうか。
董師奇穴と十全穴を使うとき、
忘れかけた大切なことを思い出す。

日々の暮らしのなかで、知らないことを知る機会は数多く存在する。
しかし、それらの情報を手にする時は、知らないという事を知っている。
けれど、知らないことすら知らないことがある。

胡老師から機会を与えてもらい初めてその存在を知る。
自分の枠の外を。

合谷が何に効いて、どんな時に使って、どれくらい刺したら補で寫で、針を刺したらこうで、灸をしたらこうなって・・・。
ということは誰もが得ている情報。

けれど、この物差しの1つの目盛が私の考える価値や評価基準であったり、
固定された思考だとすると、それが邪魔をすることもある。
それは、形あるものだから。

何が言いたいか。
胡老師から形が無いことの存在を教えていただいたという事。

針は誰にでも刺すことが出来るが、刺すとねじ入れるでは意味は異なる。
しかし、体内に入ったという事実は変わらない。
その違いは何だろうか。

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先日、銘刀を扱うお店にいく機会があったのですが、
そこで、オーナーの方に銘刀とは何かという話を教えていただきました。
日本刀を見て感動するのは神秘性、極限を追求したがゆえに生まれた美しさであると。
そして、むだのない洗練された姿の美しさ、深く青々とした地鉄の鍛え込まれた美しさ、
星のように煌く刃文の美、祈りを込めた彫刻美など複雑な美が渾然一体となって一振り
の日本刀が出来ている。よく斬れるから名刀なのではないと。

切れ味は形があるもの。
しかし、美しさには形が無い。
感じるものである。
何を感じるかは、それぞれの感覚である。

胡老師の治療について思うことがある。
初めの頃、勝手に解釈を加え自分のものにしていた。
つまり、こうであろうと意味付けして形あるものにしようとしていた。
けれど、毎年機会を与えていただき、胡老師の視線の先、手元、針の刺し方、呼吸、
立ち振る舞いを感じていると、私の枠で量ることのできないものがある。
それは、形がないということ。

治療後に石井さんと話をしていて、お互いに感じた事があった。
それは「気」の存在。
目には見えない強さを感じるのだ。

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針を綺麗に刺す、痛くないように刺す、的確に、このくらいの深さで、補はこうで、寫はこうで、そして経絡は。
それらの基本はもちろん大事ではあるけれど、これらが全てではないことを学んだ。
そして、これらは互いに表裏をなし、有形無形それぞれ大切であることを。

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胡老師に出逢っていなければ、知らないことを知らずにして針道を終えていたで
あろう。

針の道に入門して、中医学は素晴らしいと本当に思う。
いや、針灸そのものが本当に奥が深く素晴らしいものである。
しかし、口伝や秘伝も多く、これらを知ると知らないとでは見える世界が異なる。

台湾に行くと思うことがある。
それは、ここには不思議なものがあると。

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謝謝胡老師 明年再会

 

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